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【ワケアリ】SEOなど気にせずに、原点を思い出しながら記事を作ってみる

記事内に広告を含みます。

こんな日記らしいブログを書くのは、いつぶりだろう。

我ながらふと考える。

「じぶんぽっく」はそうでもないが、他のブログではSEOという「グーグル先生」に、好かれる記事を作ることを優先していた。

でも、そればかりだとしんどくなるときが正直ある。

特に、精神的にしんどい時期に、グーグル先生に好かれる記事を書くのはかなりきつい。

だからこそ、ありのままを記事に書いて共有する。

1年後、3年後、5年後でもいい。誰かの励みになるようにと。

これから、同じ道を歩もうとしている、そこのあなたに届けたい。

そういう願いで、キーボードをたたき始めました。

キーボードクラッシャーじゃないよ?

目次

2021年の幕開けから怒涛の1か月

2020年末。

うつ病と一緒に戦った、愛車を手放した。

「じぶんぽっく」愛読者ならご存じだろうが、2019年にうつ病の症状の1つ「散財」により、えげつないローンの額になってしまった。

当時は自己肯定感のかけらもなく、車で自己肯定感を保つしかなかった。

自己肯定感を保つために、やつれた顔で、輝ける場所を探していた。

「お前とは合わない」

「お前は日本語から勉強しろ」

フリーランスになる前、会社で上司や先輩からたびたび言われた。

そしてうつ病から復活し、フリーランスになったときには、自己肯定感はかなり上がっていた。

退職した日には、結婚前提で付き合う彼女ができた。

しかし、元々大企業勤めだったゆえに、同じくらいの収入を数か月で達成するのは極めて難しい。

仕事は企業の時より数100倍楽しいし、達成感もあった。

顔つきも、会う人会う人に「元気なったな」言われるし、自分でもそう思う。

ただ、お金の問題はついて回った。

ましてや、結婚前提としている彼女もいるのに。

苦渋の決断の末、ローンの返済と結婚資金のために愛車を手放すことにした。

しかし、その10日後、彼女から別れを告げられた。

数少ない、消化する方法

愛車も彼女も失った。

そんなとき、ものすごく気が合う人がいた。

前々から知り合いで、共通の友人もいて、年明けの失恋のことをとても気にかけてくれた。

そして、その人とはいつしか意気投合して、すぐに交際まで発展した。

しかし、ぼくと彼女が付き合ったタイミングが悪かった。

付き合った直後に、いろいろあって彼女が会社を辞めることになった。

当然精神的に不安定になると思った。

だから、できる限りのサポートはしてあげたいと思った。

けれど、ぼくのサポートの仕方が、彼女の価値観と合わなかった。

詳細はプライバシーの問題もあるので割愛するが、その子とは別れることになった。

ぼくに残されたもの。

車もない、金もない、ずっと孤独。

ご時世的に旅行もいけない。

駐車場に、高校のころから好きだった、青い車はもういない。

海の向こうに行ってしまったから、もうどこかの道の駅で再会することもない。

青い車と同時期に納車された、お隣さんのシビックのエンジン音を聞くたびに、寂しくなってしまう。

そういうぼくは、仕事に打ち込むしか方法がなかった。

おばあちゃんに心配されるほど、朝から晩までひたすら作業か食料配達をこなした。

記事や執筆などをすることで、孤独な気持ちを消化するしかなかった。

一人前にフリーランスとして独立するのが、今の苦しい状況を抜け出す唯一の手段だと信じていた。

早く独り立ちして、うつ病の時に助けてくれた、おばあちゃんを安心させてあげたいと思った。

次の愛車が納車されたら、旅行に行って、日本一周リベンジしたいと思った。

次の彼女ができたら、金銭面で心配させたくなかった。

そう思っていた、矢先におきた出来事です。

久々に休んだら、うつが再発

そもそも、バレンタインの日(投稿日前日)に、ウーバーイーツ配達員を頑張りすぎた。

寂しい気持ちは、働くことで消化するしかなかった。

悔しさ、悲しさを胸に、必死に自転車をこぎ続けた。

そして、今日、久々に休んだ。

整骨院と、定期健診に行くためだ。

雨も昼からあがるので、ドライブに行くことにした。

楽しかった、気持ちよかった。

だけど、同時に悲しさが芽生えた。

前マニュアル車、今オートマ車。

間違えて変速しそうになって、ニュートラルにしそうになった。

あのときの車も、幸せももうない。

このまま、ずっと1人なのかと。

家に帰ってから、静けさの中で考えた。

腸がまたグルグル言ってる。

些細なことでイラつくようになっている。

何のために働いているのか、わからなくなる。

心にぽっかりと穴が開いている。

気づくと、涙を流していた。

治ったと思っていた「うつ」の再来だった。

けど、ここで負けるわけにはいかない。

自分で決めた道なのだから。

今の道で生きていくと強い意志を持ったから。

そして、今のしんどい時期も「うつ病からの社会復帰を生き様で発信」する、1つの過程なのだと。

続く。

▼続き、できました。

関連記事:精神疾患の再発期間で、見えたものもたくさんあるという話

▼今回、初めてブログに来てくださった方へ。

関連記事:第二新卒でうつ病を患い、生き様で社会復帰を発信する。迅斗(じんと)のプロフィール

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