こんな日記らしいブログを書くのは、いつぶりだろう。
我ながらふと考える。
「じぶんぽっく」はそうでもないが、他のブログではSEOという「グーグル先生」に、好かれる記事を作ることを優先していた。
でも、そればかりだとしんどくなるときが正直ある。
特に、精神的にしんどい時期に、グーグル先生に好かれる記事を書くのはかなりきつい。
だからこそ、ありのままを記事に書いて共有する。
1年後、3年後、5年後でもいい。誰かの励みになるようにと。
これから、同じ道を歩もうとしている、そこのあなたに届けたい。
そういう願いで、キーボードをたたき始めました。
キーボードクラッシャーじゃないよ?
2021年の幕開けから怒涛の1か月
![](https://www.jibun-pock.com/wp-content/uploads/2021/02/201207-新記事-1024x683.jpg)
2020年末。
うつ病と一緒に戦った、愛車を手放した。
「じぶんぽっく」愛読者ならご存じだろうが、2019年にうつ病の症状の1つ「散財」により、えげつないローンの額になってしまった。
当時は自己肯定感のかけらもなく、車で自己肯定感を保つしかなかった。
自己肯定感を保つために、やつれた顔で、輝ける場所を探していた。
「お前とは合わない」
「お前は日本語から勉強しろ」
フリーランスになる前、会社で上司や先輩からたびたび言われた。
そしてうつ病から復活し、フリーランスになったときには、自己肯定感はかなり上がっていた。
退職した日には、結婚前提で付き合う彼女ができた。
しかし、元々大企業勤めだったゆえに、同じくらいの収入を数か月で達成するのは極めて難しい。
仕事は企業の時より数100倍楽しいし、達成感もあった。
顔つきも、会う人会う人に「元気なったな」言われるし、自分でもそう思う。
ただ、お金の問題はついて回った。
ましてや、結婚前提としている彼女もいるのに。
苦渋の決断の末、ローンの返済と結婚資金のために愛車を手放すことにした。
しかし、その10日後、彼女から別れを告げられた。
数少ない、消化する方法
愛車も彼女も失った。
そんなとき、ものすごく気が合う人がいた。
前々から知り合いで、共通の友人もいて、年明けの失恋のことをとても気にかけてくれた。
そして、その人とはいつしか意気投合して、すぐに交際まで発展した。
しかし、ぼくと彼女が付き合ったタイミングが悪かった。
付き合った直後に、いろいろあって彼女が会社を辞めることになった。
当然精神的に不安定になると思った。
だから、できる限りのサポートはしてあげたいと思った。
けれど、ぼくのサポートの仕方が、彼女の価値観と合わなかった。
詳細はプライバシーの問題もあるので割愛するが、その子とは別れることになった。
ぼくに残されたもの。
車もない、金もない、ずっと孤独。
ご時世的に旅行もいけない。
駐車場に、高校のころから好きだった、青い車はもういない。
海の向こうに行ってしまったから、もうどこかの道の駅で再会することもない。
青い車と同時期に納車された、お隣さんのシビックのエンジン音を聞くたびに、寂しくなってしまう。
そういうぼくは、仕事に打ち込むしか方法がなかった。
おばあちゃんに心配されるほど、朝から晩までひたすら作業か食料配達をこなした。
記事や執筆などをすることで、孤独な気持ちを消化するしかなかった。
一人前にフリーランスとして独立するのが、今の苦しい状況を抜け出す唯一の手段だと信じていた。
早く独り立ちして、うつ病の時に助けてくれた、おばあちゃんを安心させてあげたいと思った。
次の愛車が納車されたら、旅行に行って、日本一周リベンジしたいと思った。
次の彼女ができたら、金銭面で心配させたくなかった。
そう思っていた、矢先におきた出来事です。
久々に休んだら、うつが再発
![](https://www.jibun-pock.com/wp-content/uploads/2021/02/unnamed-1-1024x768.jpg)
そもそも、バレンタインの日(投稿日前日)に、ウーバーイーツ配達員を頑張りすぎた。
寂しい気持ちは、働くことで消化するしかなかった。
悔しさ、悲しさを胸に、必死に自転車をこぎ続けた。
そして、今日、久々に休んだ。
整骨院と、定期健診に行くためだ。
雨も昼からあがるので、ドライブに行くことにした。
楽しかった、気持ちよかった。
だけど、同時に悲しさが芽生えた。
前マニュアル車、今オートマ車。
間違えて変速しそうになって、ニュートラルにしそうになった。
あのときの車も、幸せももうない。
このまま、ずっと1人なのかと。
家に帰ってから、静けさの中で考えた。
腸がまたグルグル言ってる。
些細なことでイラつくようになっている。
何のために働いているのか、わからなくなる。
心にぽっかりと穴が開いている。
気づくと、涙を流していた。
治ったと思っていた「うつ」の再来だった。
けど、ここで負けるわけにはいかない。
自分で決めた道なのだから。
今の道で生きていくと強い意志を持ったから。
そして、今のしんどい時期も「うつ病からの社会復帰を生き様で発信」する、1つの過程なのだと。
続く。
▼続き、できました。
関連記事:精神疾患の再発期間で、見えたものもたくさんあるという話
▼今回、初めてブログに来てくださった方へ。