僕はずっと、父方と母方の仲介役だった。
父方から母方に伝えたいことは、すべて僕をはさむ。
逆もまたしかり。
当然だけど、顔色をうかがうように生きてきた。
自分さえガマンすれば、親が仲良くなってくれるだろう。ずっと信じていた。
けど、それは叶わない。
だから、一人暮らしを機に、一切の連絡を絶った。
やっと、心の平和がやってきたと思った。
だが、祖父が息をひきとったときは、さすがに顔を合わせるしかなかった。
そのときに言われたひとことは、衝撃だった。
「俺の代わりに、迅斗が祖母に会ってやってくれ」
これは、北海道に単身赴任した父から言われたことだ。
親を心配してのことだろう。
本当は嫌だったけど、祖母のことを思うと胸が痛む。
だから、僕は引き受けた。
ただ、そのときに悪夢は起きた。
祖母から「家族なんだから大切にしなさい」などと長時間にわたって説教された。
そう、父方の祖母もまた「毒親」だった。
その日家に帰ってから、泣きながら父に「もう限界です」と連絡した。
パワハラを受けていたときにあった、このできごと。
当時の僕はよく耐えていたと思う。
小さい頃から、どこにも自分の居場所はない。
自分が自由に生きられる場所なんてない。
自分を取り戻すためには、記憶から抹消するしかないんだ。
だから、うつ病になって帰省した母方の祖父母以外は、一切連絡をとらなかった。
母方の祖父母は、唯一自分のことをありのまま受け入れてくれたから。
ふとしたときに、家族を思い出す
最近、家庭のことを思い出すできごとが、立て続けに起こった。
親がお米を送ってくれるとか。
育児をサポートしてくれるとか。
マイホームの頭金を払ってくれるとか。
そんな話を最近よく耳にする。
こんな感じで、実家を頼れたらどれだけ楽なんだろうか。
妻も毒親育ちだけど、兄弟そろって結婚してからはかなり穏やかになったらしい。
この前「会ってくる」と言ったから、心のケアの準備してたけど、笑顔で帰ってきたから拍子抜けした。
ただ、僕はどうだろうか。
父は実家付近に帰ってきたが、どうやら別の場所に住んでいるらしい。
それを聞いて、僕は確信した。
「顔を出せば、また父方と母方のサンドバッグにされる」
もうこれ以上、都合のいい人はゴメンだ。
そして今日、久しぶりに泣いた。