運営者の後藤 迅斗(じんと)って何者? >>

あまり表にしなかった、家族についてつらかった話をしたい

記事内に広告を含みます。

僕はずっと、父方と母方の仲介役だった。

父方から母方に伝えたいことは、すべて僕をはさむ。
逆もまたしかり。

当然だけど、顔色をうかがうように生きてきた。
自分さえガマンすれば、親が仲良くなってくれるだろう。ずっと信じていた。

けど、それは叶わない。
だから、一人暮らしを機に、一切の連絡を絶った。

やっと、心の平和がやってきたと思った。

だが、祖父が息をひきとったときは、さすがに顔を合わせるしかなかった。
そのときに言われたひとことは、衝撃だった。

この記事を書いた人

大手メーカー(機械設計・新卒採用)→ うつ病 → 復活4年目┊X(Twitter):フォロワー1.1万人┊メンタル心理カウンセラー資格保持┊オンライン相談で120人以上の悩みを解決┊「Abema Prime」「newsランナー」他出演┊さらに詳しい自己紹介

目次

「俺の代わりに、迅斗が祖母に会ってやってくれ」

これは、北海道に単身赴任した父から言われたことだ。
親を心配してのことだろう。

本当は嫌だったけど、祖母のことを思うと胸が痛む。
だから、僕は引き受けた。

ただ、そのときに悪夢は起きた。
祖母から「家族なんだから大切にしなさい」などと長時間にわたって説教された。

そう、父方の祖母もまた「毒親」だった。

その日家に帰ってから、泣きながら父に「もう限界です」と連絡した。

パワハラを受けていたときにあった、このできごと。
当時の僕はよく耐えていたと思う。

小さい頃から、どこにも自分の居場所はない。
自分が自由に生きられる場所なんてない。

自分を取り戻すためには、記憶から抹消するしかないんだ。

だから、うつ病になって帰省した母方の祖父母以外は、一切連絡をとらなかった。
母方の祖父母は、唯一自分のことをありのまま受け入れてくれたから。

ふとしたときに、家族を思い出す

最近、家庭のことを思い出すできごとが、立て続けに起こった。

親がお米を送ってくれるとか。
育児をサポートしてくれるとか。
マイホームの頭金を払ってくれるとか。

そんな話を最近よく耳にする。

こんな感じで、実家を頼れたらどれだけ楽なんだろうか。

妻も毒親育ちだけど、兄弟そろって結婚してからはかなり穏やかになったらしい。
この前「会ってくる」と言ったから、心のケアの準備してたけど、笑顔で帰ってきたから拍子抜けした。

ただ、僕はどうだろうか。

父は実家付近に帰ってきたが、どうやら別の場所に住んでいるらしい。
それを聞いて、僕は確信した。

「顔を出せば、また父方と母方のサンドバッグにされる」

もうこれ以上、都合のいい人はゴメンだ。
そして今日、久しぶりに泣いた。

関連記事:うつ病の経験をもとに発信し、戦い続ける。迅斗(じんと)のプロフィール

関連記事:【つらい】毒親育ちあるある11選|当事者が3つの対策とあわせて紹介

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次