運営者の後藤 迅斗(じんと)って何者? >>

【うつ病闘病】キャリアの棚卸しを進めて初めて、働きすぎが発覚した話

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こんばんは、迅斗です。

今週も1週間お疲れ様でした。

コロナ第2波、怖いですね。

またしても楽しみが奪われるのかと考えただけで辛くなってしまいます。

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さて本題です。

休職するまでのお仕事に関して、最近考えることが多いです。

そこの要因をぬぐえなければ、今後社会復帰するうえで再発が生じると思ったためです。

遡ること2016年、そもそも就職活動の時に大学で学んだことを活かせることや、漠然とした憧れから「設計開発」1本で就職活動を進めていました。

そもそもここがしくじってるんですけど、本題から逸れるのでこれについてはまた後日。

以前より本ブログを読んでくださってる方ならわかるんですけど、

症状の急悪化は2019年に入ってからでした。

そもそも2018年の後半から現行品の不具合(メーカーで設計されたことある方なら結構通る道だと思います)で残業が増加傾向にありました。

例えるなら、自動車や電化製品のリコールのようなものです。

その上にリクルーターも行っておりました。

最近業務の振り返りをしてて気づいたのはこのリクルーター活動、かなり他社のリクルーター活動より幅が広かったことです。

あまり内情を書くとコンプライアンス違反になりそうなので割愛しますが、専任の採用担当が本来行うことの半分くらいはリクルーターにゆだねられていました。

また、時を進めるに伴い設計とリクルーターでやりがいや達成感が逆転し始めていました。

メインはもちろん設計なのですが、どうも興味がわかない。

パワハラさんを抜きにしてもです。(今後わかりやすいようにこのように名前つけます)

この理由についての分析は後日まとめます。

だから辞めて設計一本にする選択肢が出来なかったのだと思います。

何ならパワハラさんが僕のリクルーター業務に反対していたことをリクルーターのリーダーに相談し、リーダー、人事の課長、設計の課長で話し合いをするほどになりました。

BCCで一連のやり取りのメールもらってたんですが、かなり頼りにされてたよう驚きました。

課長にも許可をもらって活動は出来るようになりました。パワハラさんには最後まで嫌味言われましたけど(笑)

そして2019年の1月から思えば休んだ記憶がないです。

市場不具合は解消せず残業時間はさらに増加、採用活動もそれなりに進めていました。朝8時に出社して帰りが9時半頃になることもしばしば。その上風俗事件もありました。

その状況下で当時住んでいたレオパレスが違法物件に該当し、引っ越しを余儀なくされました。休みの日は家探しをし、平日の夜も引っ越し準備に追われる日々。

また、当時お付き合いしていた彼女と結婚するか悩んでいましたが、デートするたびに疲れるという現象が年末あたりから起こっていたのです。そのことでますます心が休まらない。

さらに資格試験が3月にあり、休みの日には勉強していました。この期間ツーリングや写真撮りにもほぼ行ってないですね。(凍結怖いのもありましたが)

極めつけに、当時属していたツーリングチームでももめ事があり、夜遅くまで話し合いする日も何日かありました。

そして資格試験が終わり、昇格が決まった1週間後…糸が切れたかのように、動けなくなってしまいました。これが今回のうつ病前の1回目の適応障害です。

この先は過去のブログに書いたので割愛します。

最近同じような症状になった友人の相談に乗ってて気づいたのですが、僕も気づかぬオーバーワークでしたね。

その友人も同僚の嫌がらせと過労で色々あったので…。

今の「1浪期間(最近こう呼ぶことにしています)」は人生のターニングポイントだと思います。

一生働く可能性が言われている中、何を重きに置いていくか。考え抜く必要があると改めて感じました。

久々にこんな長文になりましたが、最後まで読んでくださった皆様ありがとうございます。

ではでは、皆さま今日も生きててえらい!

↓私が作曲した曲です。↓

↓実況プレイ動画(基本毎日更新中)↓

写真素材 PIXTA 

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